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とあるゲームの話

⚠️この記事は「レディ・プレイヤー・1」のネタバレを含みます。

今更だが、みんな荒野行動って知ってるだろうか。
荒野行動(朝鮮半島サーバー)

ちょうど今年になってからTwitterと法廷を賑わしているあのゲームだ。恥ずかしながら僕もプレイヤーの一人なのだが。

あのゲームに対する評価は結構十人十色で、課金するほど愛してやまないバカハードプレイヤーから、荒野大っ嫌いって人まで、かなり別れる。

荒野行動の話なんて、もはや使い古された感しかないのだが、ちょっと違う話に絡めたい。映画の話だ。

少し前に公開された「レディ・プレイヤー・1」を覚えているだろうか。あのスピルバーグのやつ。
最高の初体験である。

見てない奴は適当に調べるか、下のリンクから予告編でも見ろ。
映画『レディ・プレイヤー1』コミコン予告【HD】2018年4月20日(金)公開 - YouTube

これはこれですごくいい映画だったが、荒野行動プレイヤーの僕に訴えかけてくるものは感動以上だった。

サマリーするとこうだ。『オアシス』というバーチャル空間が普及した未来の地球で、オタ系主人公が創始者の隠した莫大な遺産を巡って謎解きするよー、という話だ。内容はすごく良かった。(まあ、日本人はみんなガンダムが好きだと思っていそうな節があるところは見ないふりで)
件のガンダム

結局オタ系主人公はオアシスで知り合った友人たちと共に謎を解き、敵と戦い、遺産を手にする。そこで創始者からのメッセージを得る。説明が上手くいかないから詳細は自分たちで見ろ。

そのメッセージで伝えられているのは、リアルはリアルじゃないと体験できないねって言う話。オタ系主人公はオアシスに篭りっきりになっていたが、リアルとオアシスが交錯する遺産争いの中で、やっぱりリアルって素晴らしいってことに気づく。まあ、実際は最後オタ系主人公はオアシスを通じてできた相棒=彼女と幸せになったのだが。リアルでも体験できないことはある。 最高の初体験ってそういうことなのだろうか。いや、失礼しました。

で、何が荒野行動と関係あるかって、やっぱりゲームの中でいくらキルできても現実はどうなのって話なわけで。荒野行動が嫌われるのはそういうところにあると思う。
執拗なドン勝アピールとか、「誘ってください!」、「フレンドお願いします!アカウントは〜」みたいな。
そうやってリアルとバーチャルの見境が曖昧になっているところに要因はあると思う。
リアルはリアルで、バーチャルではない。そしてそこには独立したメリット、デメリットがある。

確かに荒野行動のコミュニティというのは巨大なものになりつつあって、プレイヤー側はさもマジョリティーであるかのように錯覚する。
ただ、実際そんなことはない。社会的には十分マイノリティなのだ。日本人全員が荒野行動をやらない限り。
だから閉塞的な社会で「俺らは俺らで楽しむから」みたいな右人間ならともかく、少しでもプレイヤーを増やしたいと、仲間を増やしたいと思っている善良なユーザーの方がいるなら、是非イメージアップに勤めてもらいたい。
それこそが所謂「民度」である。 そしてそれが、リアルとバーチャルを繋ぎ止めるのだと思う。閉塞的なバーチャルをリアルから評価するための民度。ある意味物差しになっている。

余談だが、最近は民度民度って、実にうるさい。そもそも民度って割と差別用語だと個人的には思っていたので、ネットに触れるようになってから散々言われていてびっくりしたのだが。

でも、よく考えて見たら、そんなこと、荒野行動に限った話ではない。(コメ欄の民度が低いと有名な)YouTubeとかその他のゲームもそうだろうと思う。もっと言ってしまえば、リアルだってそうだ。結局世の中共同体なのだ。人間一人では何もできない。同じものを志す仲間を集めて始めて、その運営ができるのだ。ならばそのイメージは良いに越したことはない。それはその存続にも繋がるし繁栄の支えにもなる。だからイメージアップが必要なのだ。荒野行動だけでなく!そういう話!

【結論】
荒野行動をするときは嫌われないようにやれ!






あ、あとそういえばこの前ドン勝しました!
上手い人誘ってください!お願いします!