すごくどうでもいい話

読めば読むだけ時間が無駄になるブログ

僕のインスタグラム活用秘話

前置きだが、

「私の大好きなインスタに文句ゆーな😡🖕🖕🤬」

という蝿の皆さんは、ここで一旦スマホを置いた方がいいかもしれない。今回は現代社会が信じて疑わないインスタグラムの話だからだ。
また、読んだとしても僕に当たるのはやめてほしい。ほんとに。

単刀直入にいこう。
本題は
インスタの検索するところに出てくる石鹸切る動画とかスライムこねまわす動画ってなんなの??
である。


件のもの

インスタを始める前、クソ情弱だった僕は、インスタはご飯か旅行の写真をSnowで撮って投稿するキラキラ陽キャ用アプリだと思っていた。ネット上のアパルトヘイトとも言うべき情報社会の理不尽な構図に僕は憤りを覚えながらも、ある種、諦観があった。
「僕は一生インスタJKになんてなれないんだ…。」

ただ、僕は変わった。踏み切ったのだ。あちら側の世界に…。とてつもない勇気だった。「今更…」という白い眼を覚悟して、身一つで飛び込んだのだ。ああ、わからないだろう。抵抗なきインスタユーザーの皆さんには。あなた方の庭は僕にとっての無間地獄だった。厳しい戦いを予想していた。

しかし

始めてみると状況は全く違った。

ストーリーに他愛もない日常をシェアしたり、よくわからん投票をしたり

意外と陽キャじゃなくても楽しめるのだ。

まあ、中にはホワイトパーティーの画像とか、こっち側の人間には耐えられないようなコンテンツもあったけど、敢えて触れなければ害はないものだった。多分今後も絶対に交点はないだろう。それはそれでいい。

悪目立ちしなければいい…。
僕はテスト期間にラーメンの写真だけをこっそりあげておけばいいんだ…。
僕はインスタグラムの世界に溶け込めたと思っていた。その時は。


しかし、不幸にもふとした瞬間に交わってしまった。

ある日僕は有名人のアカウントでも見て明るい気持ちになってやろうと「虫眼鏡マーク」を押して検索ページに飛んでみた。 ↑これ

そこで目にしたのは無数に現れては消えるスライムと粘土と石鹸の動画。
最初は
「あー、ハイハイ。これが流行りってやつねー」
と澄ました顔をしていた。が、だんだん耐えられなくなり、心の中にフツフツと疑問が湧き上がる。
「これの何が面白いんだ??」

石鹸を切る動画に至ってはただ単にもったいない。小学生が消しゴムを切りたがるが、それと似たものを感じる。なにが気持ちのいいもんか。

他の動画にしてもそうだ。一番タチが悪いのは煮え切らなさだ。
YouTubeとかに上がっているのはまだいい。砂を切ったりしてて音も気持ちいいし、綺麗なのも多い。
だがインスタグラムに投稿されているものといったら。短いし中途半端だからよくわからない。気持ちよくもない。見た後ゲンナリすらする。
ちょっと変わり種だとスポンジを使って右か左か選ばせるようなのもある。知育番組でもあるまいし。めちゃくちゃどうでもいい。
とにかく俗っぽい。あまりにも俗っぽい。そもそも発想が不可解。最初に考えたひとは、そりゃ頑張ったかもしれない。でも真似するほどのモンでもないだろ絶対。


気づけば僕はインスタを使いこなすキラキラJKはおろか、ただのひねくれ者に逆戻りしていた。こんなはずじゃなかったのに…。

そしてついに、僕は溢れ出る心情をブログに吐露してしまった。僕は…やってしまった。こんなことをして、もはやあの世界に戻らんとすることを誰が許すだろうか。悲しいが、僕の幻惑のキラキラ世界は一夜の夢のように消えたようだ。まるで「平家物語」だ。偏に風の前の塵に同じ、である。
僕はこれから、黙って、心を隠して、ひたすらラーメンの写真をアップし続ける機械にならなければいけない。
情報社会とは、そう言うことなのだ。