今年の話
今日も一日家の大掃除を頑張りました。もろもろの書類とか小物が大量に溜まっていて、イライラしました。
2019年も大詰めを迎えましたね。我が家は例年通りガキ使は見ず、紅白で新年を迎えようとしています。自分はどうでもいい演歌とかの合間を縫って、ダラダラと本稿を書いています。
ということで、年越しを直前に控えた今回は俳句で一年を締めくくろうと思います。どうせガキ使見るくらいしかやることのない無粋なお前らは、年末に少しでも風流を感じてみやがってください。
1月
モスクワに 光る一輪 寒牡丹
今年の1月にモスクワで寒牡丹の栽培技術を競う寒牡丹オリンピックが開催されたのは記憶に新しいと思います。日本勢は庭師チームが見事金メダルを獲得して、大きな話題を呼びました。庭師チームは「絆」をテーマに寒牡丹を栽培。赤と緑のコンビネーションが世界の一体感を表していると高く評価されました。一方、試合が終わった後の競技会場では、日本人サポーターが競技の際に出た泥や土、枝葉を重機を使って清掃する姿が見られました。日本人の「立つ鳥後を濁さず」の精神は世界に大きな影響を与えました。自分もそんなできた人間になりたいなと思う次第でした。
2月
雪の中 心合わせて 馬喰町
2月には都道府県をモチーフにした新人アイドルユニット「馬喰町47」が結成されました。駒沢オリンピック公園での野外記者会見当日、都内は大吹雪に見舞われましたが、メンバー全員が滝行パフォーマンスを行いました。その姿に多くの男性ファンが涙を流したことと思います。また、同時に新曲をライブ披露しました。「馬喰町47」の全曲をカセットテープでリリースするという方針にも注目が集まりました。ちなみに、このとき口蹄疫が宮崎でかなり流行った影響で牛肉の供給がかなり落ちて、宮崎出身のメンバーによる「牛ランプ解体ショー」が中止になったそうです。
−3月
蒸し焼かれ 火花仰いだ 春の夜
和歌山県で大規模火災が相次いだ3月。水産関係の施設も多く被害に遭ってしまったため、お祝い事が重なって伊勢海老のニーズが高まるこのシーズにも関わらず、全く市場に出回らないという混乱が起きました。一方で海外の動物保護団体からは多大な寄付を受けたという嬉しいニュースもありましたね。この保護団体というのがシーシェパードだったんですけど、そのおかげで現地では密かに「平成のエルトゥールル号事件」と呼ばれているそうです。
4月
桜花 無残に散りし パキスタン
パキスタンで反政府勢力による暴動が発生しました。「チャパティの春」と呼ばれたこの革命運動はセイロン茶葉を輸送する鉄道の利権を巡って勃発しました。ロシア大使館が襲撃された際はかなり動揺が広がりましたが、外交官の活躍によって人質は無事解放され、国際社会から賞賛されました。しかし、紛争は依然解決の気配がなく、膠着状態にあると見られます。
5πr²月
北の海 遥かに見える シロイルカ
北海道の釧路沖でシロイルカが発見され、話題になりましたね。捕獲されたシロイルカは公募により「半ライス」と名付けられて、岡山県にある山村スキンケア研究所付属ダックスフンド水族館で飼育されることになりました。水族館はシロイルカ効果も伴って、「ミシシッピアカミミガメの『バルバロッサ』による逆立ち素潜りショー」が大人気を博し、その月は来園者50万人を記録しました。私もその月、岡山の件の水族館に行って話題のチンアナゴを観察しました。チンアナゴに関するとある学術論文によると、チンアナゴは体の動きによって感情を伝えるという非言語コミュニケーションを持つと言います。不思議ですね。
6月
景徳鎮 欠けても美し 駿河湾
この月は前例のない巨大台風が東海地方を襲いましたね。「台風13号」はこの年の流行語大賞にノミネートされるほどでした。また、台風によって大きな被害を受けた神奈川県相模原市の「西日暮里陶芸美術館分館」も話題になりました。美術館に所蔵されていた景徳鎮の壺計89個(時価総額2億8900万円)が大破してしまい、美術館は当時借り入れていた屋根のペイント代8000万円と合わせて返済不能となり、閉館に追い込まれてしまいました。自らも陶芸の趣味を持つという、ZOZOTOWNの前澤社長がクラウドファンディングで再建を目指そうとしているらしいですが、なかなか見通しは立っていないそうですよ。
4+5i月
魚河岸に 揚がる鰻よ 黒ダイヤ
今年は鰻の高騰が特に目立ちましたね。相次いで都内のスーパーから国産鰻が消え、中国産の小ぶりな鰻が市場に出回りました。一時は最高価格一尾6万円を記録したそうです。まあ、鰻がなければ穴子を食べればいいんですけどね。貧乏人どもが。
3√4月
パパイヤに やっと芽が出た 花屋敷
この月はパパイヤに芽が出ましたね。都道府県対抗全国選抜ライム投げ大会が開催され、チーム浅草花屋敷が見事今年の大賞に輝きました。
今回の大会ではRリーグの第38戦・6プレイング目で鹿児島県代表チームの投擲位置について、審判がブルーホイッスルを6回鳴らして、アラウンド・パーティとし、長崎県代表チームにルールアウトによると反則勝ちをさせるという、ライム投げ史上稀に見る大混戦が見られました。自分もこの月、テレビの前で大会を視聴しましたが、反則とされるペダストリアル・ラインからの1フィートオーバーはなかったように思えます。公式サイトでビデオ判定の様子を公開していますが、3番カメラからは明らかにダブルポジションの選手の足がラインの内側に入っているのが確認できました。ファーストレフェリーによるとペダストリアル・ラインは明らかに踏まれていたとして、45分に及ぶスリーカンファレンスの結果、3人の意見が一致したのでルールアウトをとったとのことですが、そのカンファレンスの内容自体、議事録も存在せず完全に機密なものなので、真相は闇のままです。一部では、全日本ライム投げ協会に対して、製粉業界との癒着がスクープされましたが、真偽のほどは定かではありません。スポーツをするものは常にスポーツマンシップに則ることが重要だと強く感じた一年でした。
さて、些か冗長になってしまいましたが、振り返ってみるとたくさんのことがあった一年でしたね。2019年の締めくくりも終わり、もう間も無く2020年、オリンピックの年となります。激動の新時代を共に歩みましょう。
では、少し気が早いかもしれませんが、ここで来年の漢字を予想します。
2021年の漢字はズバリ
「湾」
です。
それではみなさん、良いお年を!
美味しいビーフシチューの話
最近めっぽう寒くなりました。体が温まる料理が欲しい季節ですね。しかし年末年始はなにかと忙しいもの。ゆっくり料理をする時間もなかなか取りづらいと思います。
そこで今日は、みなさんに美味しくて手軽にできる、ビーフシチューの作り方をお教えします。メモのご用意はよろしいですか?
(このレシピの所要時間は1.5時間です。)
材料
- 牛肉
- 玉ねぎ
- にんじん
- じゃがいも
- マッシュルーム
- 赤ワイン
- ケチャップ
A
- バター
- 薄力粉
B
- 水
- 片栗粉
- サラダ油
用具
- ボール
- フライパン
- 丸型で底が深い耐熱容器
- 束ねた割り箸
【作り方】
4.ブラウンソースを作る
Aの材料がブラウンソースの素。
まずはフライパンでバターを溶かして、水と薄力粉を入れる。煮詰めて煮詰めて、ブラウンになったら完成。粗熱は取れるだけ取る。
熱しやすく冷めやすい
7.容器に移す
6をすかさず丸型で底が深い耐熱容器に移す。すぐに固まり始めるので、真ん中に束ねた割り箸を入れておく。固まったらサラダ油を中に入れる。
急がば回れ
8.盛り付け
そろそろビーフシチューが煮込み終わる頃なので、火を止めて、白い器に盛りつける。白がなければ水色。
終わりよければ全て良し
アヴィニョンの話
前回までのあらすじ
1303年、フランス王フィリップ4世はローマ教皇ボニファティウス8世をアナーニで捕縛。3週間後にボニファティウス8世は憤死してしまった。これが中世ヨーロッパの王権の拡張と教皇権の衰退を物語る「アナーニ事件」である。
自分はアニメとか漫画とかに疎かったのに、この歳になってかなり後悔していましたが、弟は最近イナズマイレブンや妖怪ウォッチを見だしたので、安心しつつちょっと羨ましいです。
よくよく考えてみたら、小学校の頃から社会に対して斜めに入っている節があって、今では惜しいことをしたと思っているので、今も気の利いたことは言えないままです。
結構コツが必要ってこともあり、生きづらい生きづらいとは思っていても、結局何もしないのも一興だとは思います。
例えばミカンを剥いて食べる時、ヘタを取るといいみたいなハックがありますが、どうしてか知っていますか?
これはパックリ綺麗に割れるし、筋をほどよく外せるからいいんですって。やり方は色々あると思いますが、これからはミカンのシーズンですので、ぜひ試してみてはいかがでしょうか?
話はそれましたが、結局どうにもならないこともあります。首の回し方にコツがいるように。よく考えると、メッセージなんてほんとは必要ないので、やり方なんて無意味なのですが…。
隣で弟が妖怪ウォッチを見ています。うるさいな。妖怪ウォッチなんか見たって時間の無駄なのに。
うちの母親はインドカレー屋に行くと急に片言で喋り出す。
年末は映画を見る時間がたくさんあって嬉しいと思いませんか?
映画といえば、今年は『ボヘミアン・ラプソディー』が大ヒットしましたね。おかげで猫も杓子もQUEENという感じでしたが、自分はたった一曲知っていただけで、フレディマーキュリーが誰かも知らなかったのに、最近聴き始めたミーハーなお前らとは違うと、社会に対してマウントを取り続けてきました。今考えれば浅ましいです。
友達がクリスマスのプレゼントにQUEENのCD、しかも自分が持っていたのと全くおんなじやつをもらったって言ってきたんですけど、その時も心の中で大きくマウントを取りました。この場を借りて謝ります。ごめん。
かなり脱線してしまいました。話の続きをします。
つまり、ひとりの時間があるといくらでも無駄にしてしまいますが、それでも絶望しないのは、希望がないと諦めているわけではないからだと思いませんか?笑
根本的にひとりの時間って結構大切だと思うんですが、より有効に使うことは大きな前提です。色々あるじゃないですか。例えば自分の周りでは最近テトリスがプチブレイク中です。
今度は弟がスポンジボブを見始めました。これは割と根っからの疑問なんですけど、スポンジボブのアニメってめちゃくちゃ気持ち悪くないですか?
嫌いです。
体育館での練習試合の時ステージ上に長机が置かれて、そこに一列に先生が座る様を「最後の晩餐」という(言わない)
この「言う(言わない)」とか「最近気づいたんだけど」みたいなエセ頭良さげネット寄り構文が、特に長高生あたりは大好きだろうと思って、たまに使います。でも最近は使いません。気づかないうちに使ってるのかも。わかんない。知らない。
フィリップ4世はアナーニ事件だけじゃなくて、テンプル騎士団を壊滅させた
とまあ、ここまで色々と例をあげて説明してきましたが、中には少し抽象的になってしまった部分もあり、自分自身も少し反省しています。
書いている途中にお風呂に入ってしまったので、書こうとしていたことを結構忘れてしまいました。なのでこの辺で今日はまとめたいと思いますらおぶり。たをやめぶり。幽玄。有心。
ゲスい話
まずはお詫びから。
先週はいろいろ忙しかったので、書けませんでした。まあ、週一投稿とは誰も言ってないので、広い心で許してください。
では本題。
僕は最近「ゲスの極み乙女」をよく聞く。良くも悪くも世間を騒がせたあのバンドだ。こういうと、僕の捻くれ者の友達は 「ニワカだ」 とか 「お前は薄っぺらい」 だとかってすぐ言うのだが、今回はそんな話ではない。
ゲス極のPVとかをたまに動画サイトで見ると、未だに不倫に関するコメントが意外とあることに驚く。ボーカル、川谷絵音のツイートにも変なリプが沢山つく。
そもそも僕は公式アカとか有名人にリプ送るやつ自体あんま好きじゃないので、こう言う人とは絶対友達になれないと思う。
しかも、
しかもだ。
こういうやつに「川谷絵音の何が嫌い?」って聴くと、さも当然のように 「不倫したから」 と返ってくる。
不倫したから川谷絵音が嫌いなのだろうか。
関係ないのだ。ほんとうに。
不倫と本人の作品は全く関係ない。
まあ、本人はアーティストだという点から鑑みて、作詞は各人の価値観を表現する音楽活動だとすると、不倫はその価値観の乱れなので、全く関係ないということもない。と譲歩することもできる。
でも、そういう人に限って判で押したように
「川谷絵音はいい曲作るけど、不倫したから嫌い」
とかいう。これはほんとに理論の破綻も甚だしい。いい曲作るって認めてる時点でこれは大きな矛盾だ。
それはもうお前、「川谷絵音」が嫌いなんじゃなくて「不倫」が嫌いなんだよ。
で、散々叩いたあと、自分が信ずるものが同じ立場に立たされるとどうだろう。文春に拾われたり、「ゲス不倫」の槍玉に挙げられたり。パターンとしてまず考えられるのは
「○○不倫とか幻滅。ファンやめます」
みたいなやつ。これはマジでクズ。だいたい「○○のファン」とか言ってるけど、不倫ごときでやめられるなんてちゃんちゃらおかしい話で、それは○○の「作品のファン」だったのではなく、○○「自体のファン」、つまりべつにどんなに素晴らしい作品を残そうと目もくれなくて、ただ「○○の存在」を好きな僕私が可愛かっただけなのだ。
他にも
「○○不倫したけど、私はファンでいる!頑張って!」
とかいう人。心優しきひとりのファンに擬態しているが、べつに涙ぐましくもなんともない。
「不倫したけど」?そのけどってどういう意味?
不倫して散々社会から叩かれてて哀れだ
けど善良な「ファン」の私は救ってあげますよ、の「けど」?
結局そいつらも仕事なんか見ちゃいない。「ファン」であることにしか意義を見出せていないから。
そうやって自分のことをやれファンだ、やれ批評家だと思っている人が多いが、世間はそれを「バカ」とくくる。不倫不倫とメディアに扇動されて、ネットで叩くのはさぞかし楽しいだろう。ネットニュースを見て大泣きしてる私はさぞかし綺麗に見えることだろう。ただ第三者的にはとてもとても。
だから、本当に取るべき行動は沈黙。
不倫したとしても、いい曲を作れば「いい曲でした」。いいライブをすれば「楽しかったです」。そう素直に言えばいいのだ。そこに不倫という倫理的な物差しは必要ない。と思う。
こんなことを言っているが、別に僕も不倫は悪いことだと思うし、不倫擁護派でもない。社会的に見ても、不倫は許されることではない。
でも不倫を叩くための道具にしてはいけないと思う。本当に不倫してはいけない人が万が一やってしまった時に、それを批判するべきであって、叩きたいから手近にあった道具で叩くというのでは、サルと大差ない。
つまるところ、言いたいのは、
「全然関係ない方向からの作品への批判はとても馬鹿らしい」
ということ。これは不倫に限ったことではない。脱税とか、未成年飲酒とか。クスリは創作活動に影響が出るのでちょっと流石に厳しいかもしれないけど。人間自体への評価なら批判要素となり得るが、作品への評価には全く影響しない。土俵が違うのだ。
僕のインスタグラム活用秘話
前置きだが、
「私の大好きなインスタに文句ゆーな😡🖕🖕🤬」
という蝿の皆さんは、ここで一旦スマホを置いた方がいいかもしれない。今回は現代社会が信じて疑わないインスタグラムの話だからだ。
また、読んだとしても僕に当たるのはやめてほしい。ほんとに。
単刀直入にいこう。
本題は
インスタの検索するところに出てくる石鹸切る動画とかスライムこねまわす動画ってなんなの??
である。
インスタを始める前、クソ情弱だった僕は、インスタはご飯か旅行の写真をSnowで撮って投稿するキラキラ陽キャ用アプリだと思っていた。ネット上のアパルトヘイトとも言うべき情報社会の理不尽な構図に僕は憤りを覚えながらも、ある種、諦観があった。
「僕は一生インスタJKになんてなれないんだ…。」
ただ、僕は変わった。踏み切ったのだ。あちら側の世界に…。とてつもない勇気だった。「今更…」という白い眼を覚悟して、身一つで飛び込んだのだ。ああ、わからないだろう。抵抗なきインスタユーザーの皆さんには。あなた方の庭は僕にとっての無間地獄だった。厳しい戦いを予想していた。
しかし
始めてみると状況は全く違った。
ストーリーに他愛もない日常をシェアしたり、よくわからん投票をしたり
意外と陽キャじゃなくても楽しめるのだ。
まあ、中にはホワイトパーティーの画像とか、こっち側の人間には耐えられないようなコンテンツもあったけど、敢えて触れなければ害はないものだった。多分今後も絶対に交点はないだろう。それはそれでいい。
悪目立ちしなければいい…。
僕はテスト期間にラーメンの写真だけをこっそりあげておけばいいんだ…。
僕はインスタグラムの世界に溶け込めたと思っていた。その時は。
しかし、不幸にもふとした瞬間に交わってしまった。
ある日僕は有名人のアカウントでも見て明るい気持ちになってやろうと「虫眼鏡マーク」を押して検索ページに飛んでみた。 ↑これ
そこで目にしたのは無数に現れては消えるスライムと粘土と石鹸の動画。
最初は
「あー、ハイハイ。これが流行りってやつねー」
と澄ました顔をしていた。が、だんだん耐えられなくなり、心の中にフツフツと疑問が湧き上がる。
「これの何が面白いんだ??」
石鹸を切る動画に至ってはただ単にもったいない。小学生が消しゴムを切りたがるが、それと似たものを感じる。なにが気持ちのいいもんか。
他の動画にしてもそうだ。一番タチが悪いのは煮え切らなさだ。
YouTubeとかに上がっているのはまだいい。砂を切ったりしてて音も気持ちいいし、綺麗なのも多い。
だがインスタグラムに投稿されているものといったら。短いし中途半端だからよくわからない。気持ちよくもない。見た後ゲンナリすらする。
ちょっと変わり種だとスポンジを使って右か左か選ばせるようなのもある。知育番組でもあるまいし。めちゃくちゃどうでもいい。
とにかく俗っぽい。あまりにも俗っぽい。そもそも発想が不可解。最初に考えたひとは、そりゃ頑張ったかもしれない。でも真似するほどのモンでもないだろ絶対。
気づけば僕はインスタを使いこなすキラキラJKはおろか、ただのひねくれ者に逆戻りしていた。こんなはずじゃなかったのに…。
そしてついに、僕は溢れ出る心情をブログに吐露してしまった。僕は…やってしまった。こんなことをして、もはやあの世界に戻らんとすることを誰が許すだろうか。悲しいが、僕の幻惑のキラキラ世界は一夜の夢のように消えたようだ。まるで「平家物語」だ。偏に風の前の塵に同じ、である。
僕はこれから、黙って、心を隠して、ひたすらラーメンの写真をアップし続ける機械にならなければいけない。
情報社会とは、そう言うことなのだ。
アイの話
先に断っておくが、今回はかなり自伝的な話になるので興味ない人は全然読み飛ばしてもらっても構わない回だ。今週は無駄な時間を過ごさずに済むぞ。よかったな。
ところで
「アイ」の話と言っても愛情論の話をしたいのではない。一人称のIのことだ。
英語だと一人称はIのみで、それ以上でもそれ以下でもない。ただ日本語だと色々な種類がある。みんなそれぞれ自分に合ったものを使っていると思うのだが、
僕は「僕」を使っている 。
実際高校生になっても「僕」を使っている人は結構珍しいと思う。身の回りにも数えるほどしかいない。おそらく一番有名な「僕」ユーザー
まずは経緯を説明したい。
僕が3歳くらいの頃、一人称は「そうちゃん」だった(笑いたきゃ笑え)。でも、さすがにそのまま育てるのは良くないと思った母親が
「『そうちゃん』じゃないでしょ!『僕』でしょ!」
と何度も指導した。今思えば母親が悪い。こうして「僕」ユーザーに見事に転生した僕は次第に大きくなって、小学校に入学した。保育園を出るあたりから、身の回りには「俺」使いがじわじわと増えてきていた。
こいつも悪い。なにが「俺はサトシ」だ。
小学校に入ると空前の「俺」ブーム。周りはほぼ「俺」使いになった。
簡単に言うと、シフトし損ねたのだ。「俺」に。
正直何度も試みた。家で一人の時、何度も「俺は〜」とか言ってみた。でも、なんか違う。僕は「僕」で「俺」じゃない。苦悩した。友達に
「なんで僕なのー?」
と無邪気に聞かれるたび、複雑な気持ちになった。僕はなにもこうなりたくてなったわけじゃないのに。
だんだん学年も上がり、卒業が見えてきた頃、シフトするのはもはや状況的に不可能になっていた。急に変えたら「え…?」という目で見られるだろう。もう無理だ。一生「僕」ですごそう。さすがにその頃には慣れてきていたので、そう思い切ることができた。
中学時代、僕は「僕」を使うことにある種、誇りすら感じていた。「僕は『僕』だ!『俺』じゃない!」と。ついに「僕」ユーザーとして大輪の花を咲かせたのだ。めでたしめでたし。
実際良かったのかもしれない。これで。
僕はこの一人称によって僕としてのアイデンティティを確立しているし、僕に「俺」はやっぱり似合わないだろう。
しかも、なにも信念なく「僕」を使っているわけではない。
「僕」という響きはいかにも純粋で一直線そうだ。大人しそうな音じゃないか。「朴」の音にも似ている。うわべを飾らず、素直そうじゃないか。「牧」とも音を同じにしている。見るからにおおらかで、雄大な北海道の自然を思い出しそうだ。自給自足してそうだ。
「ハリー・ポッター」のハリーも「僕」使いらしい。見たことないが。
「僕」使いはなんだか魔法使いになれそうじゃないか。素直で純粋で一直線なおとなしい「僕」使い。自給自足生活。まるで魔法使いだ。30歳の。
かくいうこいつは孫ができた設定なので魔法使いにはなれなかったとみえる。失望。